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決心 

031

通勤に時間がかかりすぎるという理由で
あの人が会社の近くにアパートを借りたのは、出会って二年目の冬だった。
二人で過ごす時間が格段に増えていったのと同時に、
私の気持ちの中には大きなわだかまりがうまれてきた。
私はあの人の何?「便利なだけの女」じゃない?

自分の気持ちをコントロールするために、
私は「上手(うわて)を行く女」に徹することにした。
媚びない、待たない、貢がない。
世話をやかない、口を挟まない、そして信じない。
そんな私にあの人は甘えている…おかしな話だけれど、
あの頃の私にとっては、それがプライドだった。

「佐川さんの部屋に泊まっちゃったんです」
社内の小さな会議室に私を呼び出したのは、祥子だった。
彼女は私の部下で、取引先であるあの人の会社へは何度か使いに出した事があった。
短大を出て2年目、まだ20歳そこそこで綺麗な肌をしている。
祥子は目にいっぱい涙を溜め、ごめんなさいと繰り返した。
凡庸な顔立ちだがなきぼくろが妙に艶かしい。
なんの事だか分からないという顔を崩さない私に、祥子は黒いポーチを突きつけた。
「透子さんのですよね」

わざわざ開けてみるまでもなく、
Touko・Kと刺繍された、そのポーチの中身はピルだった。
あの部屋に忘れてきたとは思っていなかった私は、
さすがに動揺を隠し切れずにそれをひったくり、逃げるようにその場を去った。
私の中ですべてが崩れた。

私は初めてあなたに断りもなく、合鍵を使って部屋に入り、
短い置手紙だけを残し、部屋を出た。
鍵を郵便受けに滑り込ませた時には少しだけ涙が出た。
でもそれだけだった。
仕事を辞める事にも、住み慣れた部屋を離れる事にも
なんの感傷もなかった。
あの人を忘れる事にすら、妙な開放感を感じている自分に驚いた。

新しい町で新しい自分に生まれ変われるなんて思わない。
ただ元の自分に戻れるだけ、それだけで充分。

*************
これは「エピローグ」に出てくる透子の物語です。
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にっき 



「きょう、ママとおねえちゃんと、ゆうえんちにいきました。
パパは、いっしょにいくって、やくそくしたのに、ゆびきりしたのに、
おしごとにいってしまいました。
かんらんしゃのなかで、ママがないていました。」

弟の佑樹が書いた絵日記が、ゴミ箱の中に破り捨てられていた。
夏休みの宿題だと言って、一所懸命に書いていたものだ。
観覧車の絵の下にたどたどしい文字が並んでいるのを見て、ちょっと涙が出た。
いたずらばかりして憎たらしいけど、まだ小学二年生の佑樹には、
お父さんが帰ってこない理由も、お母さんの涙のわけも、
きっとよく分かっていないのだと思う。
それでも小さな胸を痛め、幼い頭で考えて、
この日記は学校には出せないと思ったのだろう。
その胸の内を考えるとまた涙が出た。
あたし自身、だいぶナーバスになっているんだと思う。

佑樹がスクールバスでスイミングスクールに出かけた後、
あたしはお母さんに呼ばれた。
「美香はもう中学生だから」
お母さんはそう切り出した。
予想はついている。
その場から逃げ出したい衝動を、あたしはぐっと抑えた。

夏休みに入る少し前、お父さんのいない時に知らない女の人が来た。
白い帽子の似合う細くて綺麗な人だった。
お母さんはその人とどこかへ出かけて、しばらく戻ってこなかった。
すっかり日も暮れてから戻ってきた時には、目は真っ赤で口もきけないほど、
疲れきっていた。
あたしは佑樹と二人でカップラーメンを食べて、子ども部屋に入った。
いつもはうるさい佑樹がやけに神妙な顔をして、あたしの傍で大人しくしていた。

「ごめんね」
ここ一ヶ月ですっかり老け込んだ気がするお母さんは、何度も繰り返した。
お母さんのせいじゃないのは分かってる。
一番辛いのはお母さんだってこともわかってる。
それでもあたしは、転校するのは嫌だなあとか、苗字変わるのは嫌だなあとか、
自分の事ばかり考えていた。

夏休みが終わる頃には、正式な三人家族になる事になった。
佑樹にはまだ話していない。
それでも彼なりに察しているのだろう。
今日も佑樹は真っ白な絵日記を前に頭を抱えている。
「本当のこと、書けばいいじゃん」
あたしは佑樹の頭を撫ぜた。
どうしようもないことっていっぱいあるんだなあと思う。
あたしは早く大人になりたい。すべての事が自分で解決できるようになって佑樹を守ってあげたい。

天気雨 



あの時ばったり出会ったのは、本当に偶然だった。
今思えば何食わぬ顔で通り過ぎればよかったのに、ふたり同時に足を止めてしまったのだ。
私は友人たちとテニスをした帰り道で、女の子の連れがいた。
だいぶ年が離れた彼との関係を彼女にどう説明したのか、よく思い出せない。
きっと訝しげな表情を浮かべながら帰って行ったであろう彼女の、
後姿だけはよく覚えている。

「外で会うのって、初めてだよね」
彼女の後姿が豆つぶのようになってから、ようやく彼が口を開いた。
ちょっとはにかんだような笑みを浮かべている。
「こんなに明るい時間に会うのも初めてだね」
私たちはいつも夜が来てから、狭くて薄暗い部屋の中で会う。
私が見る時にはもう、背広はハンガーにかけられ、ネクタイは緩められている。
どんな背広にどんなネクタイだったかなんて記憶している余裕はない。
私には限られた時間の中で、しなくてはならない事がたくさんあったから。
ネクタイをきちんと締めて、会社のロゴが入った袋を抱えた彼は、
別人のようでもあり、やっぱり彼そのものだとも思える。
何より「みかちゃん」と呼ぶ、少しくぐもった声がすべてをフラッシュバックさせてくれた。

空はピーカンに晴れてひどく暑かったのに、雨はいきなり降り出した。
どの雲が降らせているのか悩むくらい、空はそのまま青かった。
あなたはスーツの上着を脱いで会社の紙袋にかぶせる。
あっという間に私たちはずぶ濡れになっていた。
私のアパートは、そこから歩いて10分ほどのところにあった。
不思議と迷ったり困ったりはしなかった。

私の部屋に彼がいる。
それはきっと神様がくれた風景だ。
「ごめんね」
彼は、恐縮しながら私のタオルで頭を拭き、
私は、彼の濡れたシャツに一心不乱にアイロンをかける。
ただそれだけなのに、胸ははじけそうに高鳴っている。
彼は時々時計に目をやりながら、私の指先を自然に追っていた。
彼の視線が指先から外れ、私の身体に滑り始めた。

それから彼は、二度とお店には来なかった。
彼なりのけじめなのだろうと、10年たってそう思えた。
私はすべての過去に蓋をして、明日、お嫁に行く。

真夜中のhighway 



ずいぶんと長く生きてきた気がする、もうかれこれ30と5年。
この年になるまでずっと、出会いと別れはペアになっているもんだと思ってきた。
でもたとえ別れが訪れようと、たくさんの男と出会って過ごした日々は、
ちょっとした勲章だとさえ、思っている。
尻軽女だとか、公衆便所だとか言いたい奴は言えばいい。
あたしはいつも真剣に愛してきた。
たとえ3日の恋にだって、命かけてきた自信がある。

翔平と出会った時もやっぱり、あたしは男と別れたばかりだった。
何年も売れないミュージシャンやってる、夢の話しかできない男だった。
夢でお腹はいっぱいにならないから、あたしが稼いで貢いだ。
洗濯をして部屋を綺麗にして、あったかい食事を用意して、
帰ってくるかどうかも分からないのに、毎日待っているあたしのことが、
いつしか鬱陶しくなったらしい。
見返りを要求したことなんか一度もないのに、あたしはいつもこうやって重たがられる。

ある日、仕事から帰ったら、アパートはもぬけの殻で、
あたしが持ち込んだ電化製品まで、キレイさっぱりなくなっていた。
何もない部屋であたしは1時間ほどワンワン泣いて、
それから、あいつの携帯に電話をかけた。
慌ててたのかうっかりなのか番号はまだ変えてはいなかったけど、
留守電になったから、
あたしはいつものように「ありがと。楽しかったよ」ってだけ入れて切った。
それからあたしは自分の携帯をその場に置いて、
アパートを出たんだ。メモリーを消す必要なんてない。
あいつの分しか、入ってないから。

翔平はあいつ以上に世の中をなめた男だった。
あたしはそういう男に弱いらしいのだと、最近になってようやく気付いた。
翔平に抱かれながら、暗い穴の中に吸い込まれていくような感じに包まれて、
あたしは何度も絶頂に達した。
そして本当に吸い込まれていくことになっちゃったんだ。

短絡的な欲望を満たす為に、結果、人を殺めてしまったあたしたちは、
その場を逃げ出すしか仕方なかった。
戻るところなんてない。
盗んだ車で高速に入り、あてもないまま飛ばし続ける。
降りしきる雨がフロントガラスを叩く音だけが、BGMだった。

「翔平だけひとりで逃げな」
夜明けのサービスエリアでコーヒーを飲みながら、あたしはようやく口を開いた。
翔平はあたしを片目でちらっと見て、髪をかきあげる。
「お前はどうすんのさ」
「あたしは・・・」
あたしは、今までと同じようにエンドマークをつけるだけのことだ。
今度はちょっと大きなエンドマークになりそうだけどね。

ボーっと、汽笛が聞こえた。
「きっと舞台の終焉の合図だよ」あたしの声は潮風にかき消された。

約束 



「俺、全然大丈夫だからさ」
将太が嘘をついた。
「うん、すぐに治るよ」
すがりついて泣き叫びたい気持ちをぐっと抑えて、あたしも笑顔で嘘をついた。
ぐるぐる巻きの包帯から目だけ出てる将太は、全然大丈夫なんかじゃなかった。
スカートを裏返しにはいている事にすら気付いてないあたしも、平気でいるわけがなかった。
面会時間の終りを告げに来た看護婦さんに背中を押され、
あたしたちは約束どおり、涙見せずに別れた。
そしてその夜、将太はひとりで逝ってしまった。

バイト先で知り合ったあたしたちは、気楽な大学生活を終え、
それぞれに就職をして、将太が千葉で、あたしが横浜という、プチ遠距離恋愛になった。
研修研修で平日には滅多に会えなかったけど、週末には疲れた身体引きずって、あちこち遊びに行った。
一緒に過ごせる時間が短くなってから、ずいぶん沢山の約束をした。
朝起きた時と寝る前には必ずメールすること。
待ち合わせには遅刻しないこと。
煙草はすわないこと。
二人でいる時には、時計を見ないこと。
喧嘩したまま別れないこと。
そして絶対に嘘をつかないこと。
そこまであたしが並べた所で将太が言った。
「やたらと泣かないこと」
別れ際にあたしがいつも泣いてしまうことをいっているのだ。
「あっこの泣き顔が一週間、目に焼きついて離れないってのはどうよ」
あたしは慌てて涙を拭きながら笑顔をつくった。

「将太が営業車で事故を起こしちゃったの」
連絡をくれたのは、二週間ほど前に挨拶に行ったばかりの将太のお母さんだった。
どこをどう歩いたたか分からないまま、あたしは病院に着いた。
ふっくらしておおらかそうだった将太のお母さんは、憔悴しきって別人のようになっていた。
まさか、そんなばかな、ありえない、しんじらんない、そんな単語ばかりが
頭の中をぐるぐると回って、まとまった事は何も考えられなかった。
まさか、そんなばかな、ありえない、しんじらんない、そんな現実が目の前に現れた。
疲れた顔をしてた将太をあたしが連れまわしたからだ。それで将太は仕事中に・・あたしは自分を責めて責めて責めまくった。

三回忌を終えてやっと、少しはあの頃を振り返れるようになった。
最後の夏に行った森のレストランを、ふと思い立って訪ねてみた。
「また一緒に来ようね」
ふたりでラズベリーパイを食べながらした約束を思い出したのだ。
思い出の中と変わらない風景に圧倒されて、あたしは思わず空を仰いだ。
頭の上を旋回する、二羽の小鳥が視界に入った。
そうか、お前たちはつがいになったんだね。
ずっと我慢していた涙が、今頃こぼれた。

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