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籠の中(3) 

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「・・・夕菜は、ご存知ですか?」
坂木さんから出た「夕菜」という名前に僕は驚いた。
坂木さんは眼鏡の奥から、僕をまっすぐに見ていた。
僕は視線をどこに持っていけばいいのか悩みながら、首を傾けた。
坂木さんは少しほっとしたような顔をした。
「では、彼女とはどこで?」

千絵とは職場で知り合った。僕の会社が商品を卸していた大手文具店で、
千絵は事務をしていたのだ。営業マンとして通ううちに親しくなった。
ごくありふれた出会いだと思うのに、坂木さんは不思議そうな顔で聞いていた。
僕は自分だけがずっと蚊帳の外にいて、ひとりで空回りしていたような、
いたたまれない気持ちになっていた。
こんな状況で自分が得たい情報を、どう手繰り寄せれば良いのだろう。

「可哀相な子なんです」
千絵の生い立ちは聞いていた。
長野にある小さな町で子供時代を過ごしたこと、
家は小さな整備工場をやっていたが、バブルと一緒にはじけてしまい、
お父さんは借金を残したまま蒸発したこと。
お母さんが昼夜働きづめで、千絵と弟を女手ひとつで育てたのだということ。
確かに悲惨な話ではあるが、よくある話だ。
不幸で可哀相だけれど、だからといって絶望するほどの事ではない。
第一、そんな生活の中でも千絵のお母さんは、幼稚園の先生を夢見ていた千絵を
東京の短大に進ませてくれたのだ。
学費は奨学金でまかない、仕送りは殆どないというキビシイ生活だったかもしれない。
でもそんな中で勉学に励んでいる子などはいくらでもいると思うのだ。
僕だってそれなりに苦労もしてきたつもりだったから、日々の生活の中で、
特に同情したりすることはなかった。
「同情を求めていたんでしょうか」
僕の言葉に坂木さんは少し考えてから、首を横に振った。
「それはないと思います。少なくても貴方には」

坂木さんがいう「可哀相な子」というのは、生い立ちのことなどではないのだ。
坂木さんは、僕がどこまで知っているのか試しているのだ。
「夕菜」ってのは、何なんだ。
僕はテーブルの下でこぶしを握り締めた。

つづく
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籠の中(2) 

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僕は千絵を捜し歩いた。
探し当てたからといって、元通りになるものなど何もないことは分かっていた。
それでも僕と千絵の間にあった僕が気付かなかった溝を、確認したかったのだ。

「元亭主なら、知ってんじゃない?」
事も無げにそう言ったのは、千絵と何度か一緒に来た事があったスナックのママだった。
「えっ?・・あの、千絵は結婚してたんですか?」
ママは煙草に火をつけてから、間の抜けた質問をしている僕の顔をまじまじと見た。
自分では分からないが、きっと悲壮感をビシバシと漂わせていたのだろう。
ママはフンと鼻を鳴らしてから、メモ用紙に電話番号をひとつ書いた。
「あたしから聞いたって言わないでよ」
右手でメモ用紙を僕の胸ポケットにねじ込みながら、左手ですばやく股間をまさぐり、
それから唇にキスをした。
情けない事に僕は泣いていたかもしれない。
ママは僕の背中をぐっと押して店の外に追い出した。
「あっ、そうだ」
扉を閉めかけたママが、僕の袖口を掴んだ。
「千絵って言ってもわかんなかったら、ゆうなって名前出してみな。夕方の夕に菜っ葉の菜で夕菜。ね、頑張って!」
そう言ってママは僕の肩をするりと撫ぜてから、ドアを閉めた。
どういう意味なのか、僕にはさっぱり分からなかった。
でも質問したり出来なかった。
いったい何が分からないのかさえ、分からなくなっていたのだろうと思う。
亭主になり損ねた男が、元亭主の男に電話を入れたのは、次の日の夜だった。「夕菜」という名前を出したかどうか、思い出せない。

待ち合わせをした喫茶店に、ダークグレーのスーツ姿で現れたその人は、
僕が思い描いていたよりも、ずっと大人の雰囲気を携えていた。
突然やってきた元妻の婚約者だという男に、戸惑ったりうろたえたりする様子はなかった。
差し出された名刺には、名門の塾の名前があり、主任講師となっていた。
前は坂木千絵という名前だったのかと、名刺を見ながら僕はぼんやりと思った。

「そうだったんですか」
僕の話をひととおり聞き終わってから、坂木さんはゆっくりと口を開いた。

つづく

籠の中 (1) 




「誠吾君へ
私は、どんなに償っても償いきれない罪を犯してしまった人間です。
あなたと幸せになることはできません。
騙すつもりはなかったんです。
それだけは信じてください。
本当にごめんなさい。千絵」

千絵からの手紙は、呆れるほど短かった。
こんな手紙を残して突然消えてしまったのだ。
ふたりの結婚式が来週に控えているというのに、だ。
今になってみれば、それまでの千絵がどんなに悩み苦しんだことかに、
思いを巡らせることが出来る。
でもあの時の僕はただ呆然とするしかなかった。
それからふつふつと怒りがわいてきた。
裏切られた思いが増幅していったのだ。

3日たっても4日たっても千絵は戻ってこないどころか、連絡もなかった。
携帯電話は通じないし、アパートも引き払われていた。
職場は半月も前に辞めていたらしい。
「寿退社って聞いてますけど」と電話口で明るく言われたが笑えなかった。
思いっきり計画的じゃないか。
僕は陥れられたと思った。
それでも泣いたり喚いたりしている時間はなかった。
僕は式場にキャンセルを入れ、招待客に連絡をして詫びるという、
屈辱的な作業を淡々とこなした。
身内も含めて世間というものは、道から外れてしまった人間に対して、実に厳しい対応をするものだ。
僕はただ、結婚式直前に婚約者に逃げられた可哀相な男にすぎないというのに、だ。
親にはさんざんなじられた。
母親は「大川家の恥」とまでのたまって泣き喚いた。
会社の上司は黙ってポンと肩を叩いただけだったが、口の端に失望の色が覗いていた。
同僚は「どんまい」と軽く流してくれたのはいいが、
「大川を励ます会」の企画が持ち上がっているようなのには閉口した。
励まされてどうしろというのだ。

事後処理がひと段落した頃には、結婚式を予定していた日が過ぎていた。
一緒に住むはずだった広すぎるマンションで、ひとり酒を飲みながら、
僕はようやく少し落ち着いて考え始めた。
この数日の間に、僕がいかに千絵の事を何も知らなかったかということを
ことごとく突きつけられた。
出会ってから二年もの間、僕たちは沢山の話をしたはずだったのに、だ。
僕は千絵の何を見てたのだろう。

つづく。
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