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名残り 

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立て続けに悲惨な出来事に見舞われた夜、
自暴自棄をつまみに、しこたまお酒を飲んだ。
駅のホームで立てなくなっちゃったあたしに、
あなたは肩を貸してくれ、タクシーに乗せてくれた。

「教えてくれなきゃ帰らない」って無理やり聞いたメールアドレス。
あたしたちは「おはよう」だの「おやすみ」だのっていう、
一行な仲になった。
ある日、それは二行になって三行になって、
すごく自然に身体を重ねた・・・そう思ってた。

明け方までいろんな話をした。
あたしは、裏切った男の事や、嘘つきの友達の事や、
面白くない仕事の事なんかを話した。
あなたがどんな話をしたのかは思い出せない。
もしかしたら何も話さなかったからかもしれない。

差し出した歯ブラシを申し訳なさそうに使って、
あなたは持って帰ろうとした。
あなたの掌からすっと抜き取ったのは、あたし。
気まずそうな顔が忘れられない。
メールが繋がらなくなった今、
どういうつもりだったのか、聞く術もないけど、
あなたが裏切ったとか嘘つきだとかは思えない。
それくらいあなたは、優しかったから。
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指きり 

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夏の日の花畑で、僕たちは初めてのキスをした。
「レモンの味なんか、しないんだね」
あっちゃんが笑った。
さっき一緒に食べたポテトチップスの味だった。
あっちゃんは、ちょっとうつむいて恥ずかしそうに、
それでも真剣な目をして小指を突き出した。
「結婚しようね。約束だよ」
僕はしっかりと小指をからませてうなづいた。

半年ほどして、僕たちは中学生になった。
思えばその頃から、ふたりの間に少しずつ距離が生まれていた。
あっちゃんの髪はだんだん赤くなり、眉毛は細くなり、
僕と目を合わさなくなった。
そして学校に来なくなった。

経営していた会社が借金抱えて倒産して、
両親は離婚したらしいと、
母ちゃん達が話しているのを聞いた僕は、
あっちゃんちへ駆けつけた。
重機でどんどん壊されていく「竹内印刷」を、
僕はただ呆然と見ているしかなかった。
もっと前にどうして気付かなかったんだろう・・・
でも僕にいったい何が出来たのだろう・・・

幼かったあの夏の日の約束は、今も忘れられない。
もし、もう一度めぐり合えたなら、すべてを捨てて二度と離さない。

エピローグ 

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便利な女だと思っていた。
さほど美人ではないが、顔立ちは自分好みだったし、
少しぽっちゃりとした体型も、心地良かった。
金融関係でバリバリ仕事をしていたから、
一緒にいる時間はあまり持てなかった。
それも実は都合が良かった。
罪悪感を持たなくて済むからだ。
女を待たせる事には、快感も感じるが、
罪悪感も同じぐらい感じる。そして重荷にもなる。
それでも待っていて欲しい時には、待っていてくれる、
そんな機転もきいた。

自分は営業で朝早くから駆け回り、夜は接待で神経をすり減らす。
郊外に建てた家までは、往復5時間もかかり、
通勤に疲れ果てた自分は、会社から一駅のこの場所にアパートを借りた。
ここが、透子との場所になるのに、たいした時間はかからなかった。
透子は合鍵を持っていても、自分がいない時に勝手に来て、
掃除をするような真似はしない。
「奥さんと鉢合わせたら大変だもん」
自分はそんな透子に、甘えきっていたのだ。

「あなたに立場があるように、
私にもプライドがあるのです」
初めて合鍵を使って部屋に入った透子は、二行だけの置手紙を残した。
その手紙の意味が、その時の自分にはまったく分からなかった。

透子はその後、引越しをして会社も辞め、田舎に帰ったのだと噂で聞いた。
突然突きつけられエピローグに、騒ぎ立てることも出来ない自分は、
一人の部屋で、透子の気配を探し続けている。
そのドアを開けて、突然入ってくることなどないとは、よく知っていたけれど。

止まった時間 

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「あたし・・産みたい」
夕食のレトルトカレーを一口食べてから、可南子が突然言い出した。
レストランで注文を決めたみたいな、ブティックで洋服を選んだみたいな、
断定的ではあるけれど、ごく自然な口ぶりだったから、
僕は事の重大さに気づくのに、少し時間がかかった。
「それ、まじ?」
口をついて出た言葉は、今思えばかなり無神経だったかもしれない。
でも僕の頭の中は、それくらい混乱していたのだ。
避妊には気をつけていたから、妊娠するなんて考えた事もなかった。
そういえば結婚を望む女性が、こっそりコンドームに穴を開けるという話を
聞いた事がある。さすがに口には出さなかったが、ぼんやりとそんな事まで考えていた。
「亮ちゃんの子だよ」
どうしてわかるんだ?切り返さなかったのが、精一杯の理性だった。

僕たちは、一緒に暮らすようになって半年が過ぎていた。
僕の毎日は一人暮らしの時とたいして変わらず、
バイトに行って、バンドの練習をして、
バンド仲間と酒を飲んでは夢みたいな夢を語り合って、
夢みたいな夢を持っていることだけで、満足していた。
でも可南子の事は、ごく当たり前に愛していたつもりだったんだ。

それからの僕たちは、何もかも噛みあわなくなってしまった。
本当はずっと前から、噛みあっていなかったのかもしれない。
可南子は毎日泣いていたし、僕は怒ってばかりいた。
可南子がいなくなって、僕は正直ほっとした。
夢みたいな夢しか見られない僕が、
父親になるなんて到底無理な話なのだ。

気がついてみたら、僕の時間は、あれから止まったままだ。
夢みたいな夢すら見られなくなって、僕は何処へも行かれない。

麝香~じゃこう~ 

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麝香~ジャコウジカの雄からとる高級香料。官能的な芳香だという~

なんでも匂いを嗅ぐ子供だった。
頂いたお菓子でも、その場でまず匂いを嗅いでしまうので、
母親にずいぶんと叱られたものだ。
叱られてもどうしようもない。
無意識にしてしまう、それは癖というより本能に近いものだから。
食品だけに留まらず、手にしたものは、なんでも嗅いでみたくなった。

人も同じだ。私は匂いで人を好きになる。
醤油とみりんが混じったような母親の匂い。
得体の知れない薬品の匂いが父親の匂い。
兄からは、ほんのりと鉄の匂いがした。
そして大人になった私は、香水を纏うことを覚えた。
自分の匂いは嗅ぎたくないし、他人に嗅がれたくもなかった。

あなたと初めて出会った時、私は軽い眩暈さえ感じた。
細胞から滲み出たような直線的な動物臭が、なんともいえない芳香になって、私を一気に包み込んだ。
身体の底に熱いものがたぎり、私は正気を失っていった。
私があなたの香りを纏い、あなたが私の香りを纏う。
どんなに触れ合っても、激しく交わりあってっも、
実体は伴わないけれど。

午前0時のホテルの部屋。
あなたは熱心にシャワーを浴びている。
私の香水が、シャボンの匂いに変わっていく。
私はあなたの下着の中に、そっと香りを忍ばせる。
香水ではなく、本当の私の香りを。

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