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旅立つ君と、旅立てない僕と。 

017


所狭しと仕込まれた沢山のライトの下で、
小柄で地味な印象しかなかった紗耶が、ひとまわり大きくなっていた。
長い間一緒に頑張った劇団を辞め、オーディションを受けて立った舞台。
物語の本筋にあまり関わりの無い小さな役だったのに、
紗耶はしっかりと輝いていて、僕にはひどく眩しかった。

学生時代に先輩に誘われるまま参加した劇団が、いつしか僕のすべてになっていた。
20歳になったばかりの紗耶が入ってきた頃は、
看板女優が映画デビューを果たしたり、座付き作家が賞をとったりして、
ぼちぼち知名度も上がり始め、年に数回の定期公演をするようになっていた。
紗耶は大きな劇団の研究生だったが、劇団に残る選抜試験に落ちて、
それでも芝居を捨てる事ができず、いろいろ回っていたらしい。
基礎を勉強してきた子にありがちな、頭でっかちな所はなく、
素直で勉強熱心だったから、皆に可愛がられた。
でもなかなか役はつかなかった。

「おまえには華がないんだよな」演出家がそう言い放った時、紗耶は悔しそうに唇を噛んだ。
身体作りや発声、芝居の細かい技術は勉強し稽古に励めばそれなりに身につくものだ。
でも「華がない」つまりは「存在感が希薄である」という事に関しては、
もう「才能」の領域で、紗耶が途方に暮れるのは当たり前なのだ。

それでも紗耶は毎日練習に来た。
役がもらえなくても基礎訓練を繰り返しながら、プロンプター(※)に徹していた。
僕はそんな紗耶が、いたいけで愛しくて、そしてもどかしくもあった。
本当は役者に限界を感じてやる気をなくしていた自分と、
傷を舐めあうような関係を求めていたのかもしれない。

30歳に手が届こうかという年齢になっていた紗耶の決断に、
誰よりも僕が驚いた。
どこかの片隅で過去を懐かしみ、今を嘆きながら、目先の小さな夢しか終えなく
なっていく生活など、紗耶には思い描けなかったのだろう。
紗耶は一人で歩き始め、僕からどんどん遠ざかっていく。
役者の道を諦め、怠惰な日常に甘んじている僕の手はもう届かない。

※ プロンプター 舞台上で俳優にかげから,せりふを教える人
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あたしの夢。 

014

桃子は人の話をまったく聞いていなかった。
だから桃子といる時の俺は、いつもイライラしていた。

「桃子ね、あのね」が、話の頭に必ずついた。
幼稚園児ではない、23歳にもなった女なのだ。
これぞ天然系というのだろう。
いつも一所懸命なのはわかるし、出会った頃はそれが可愛いと思った。
でもすぐに歯車が噛み合わなくなった。
桃子はまわりにまったく気がいかない。
ワガママなのではない、本当に自分中心にしか、物事を考えられないのだ。

頭が悪いわけではない。
桃子は裏口から入るのは難しいであろう国立大学を卒業していた。
ファッション雑誌と一緒に、フランス語の本が重ねてあったりもした。
三流大学中退の俺に気をつかってたとは全然思えないが、
知識をひけらかすどころか公開することさえなく、
桃子はいつも呆けたような顔をして、不思議な質問を繰り返した。

桃子が療養所に入ったと聞かされた後、
フランス語で書かれた手紙が送られてきた。
「あたしの夢。
休日のブランチは、あなたが作るパスタ。
茹で加減はアルデンテ。
野菜たっぷりのトマトソース、
ニンニクもしっかり効かせてね!」

翻訳ソフトに出て来た文章をしばらく見つめていたら、
わけもわからず涙が出て来た。

娘へ。 

015

「お母さん、あたしね」
味噌汁の葱を細かく刻みながら、
菜生子は淡々とした口調で、妊娠したのだと告げた。
私は煮物の味をみながら、あの頃の記憶を手繰り寄せる。

菜生子を身篭った事がわかった日、父は怒り、母は泣いた。
シングルマザーなんていう呼び名のない時代、
「私生児を産むなんて」となじられた。
新しい命を喜んで迎えてもらえない現実が、あまりにも悲しくて、
私はあてもないまま、一人で家を出た。

人様の迷惑にならぬようにとだけ、
自分にも菜生子にも言い聞かせて生きてきた。
父親の顔すら知らない菜生子が、学校でいじめられたり、
就職試験を受けさせてさえ貰えなかったりしたのを知っている。
それでも菜生子は私を責めるような言葉は一度も口にせず、
ただ淡々と日々を送っていた。私はそう感じていた。
そしてそれが菜生子の無言の抗議だとも思っていた。

菜生子が妻も子もいる人とつきあっているのだと知ったのは、
相手の奥さんがうちに乗り込んできたからだ。
口汚くののしる彼女に対しても、菜生子は何も言わずに通した。
その時、私は気付いた。
迷ってばかりいた私とは違って、菜生子は凛として生きている。
羨ましい程にしなやかに、そしてしたたかに生きているのだということに。

「おめでとう」
私は25年前に欲しかった言葉を、菜生子にたむけた。
菜生子は一筋涙を流し、「ありがとう」と笑った。

子供じゃないのに。 

025

あたしが「高杉さん」から「茜ちゃん」に変わったのは、
二学期の終わり頃だったと思う。
夕暮れの公園で、思いっきり抱きしめられた時、
ホント言うと、あたしはちょっとビビッたんだ。
先生は照れくさそうに目を伏せたまま、おでこにキスしてくれた。
髭の跡が、チクチクして凄くくすぐったかったのを覚えてる。

ビミョーな行き違いで、クラスの輪から外されてしまってたから、
あの頃の2年A組の教室に、あたしの居場所はなかった。
意地だけで毎日を過ごしていたけど、カラダ的にはキビシかったんだよね。
貧血起こして倒れた私を、先生は車で家まで送ってくれた。
それっきり登校できなくなったあたしの所に、先生は毎日訪ねてきた。

最初は正直、うざかった。
行事の話、クラスの子の話、どんな授業をしたか、
あたしにとってはどうでもいい話ばっかだった。
きっと先生だけじゃなく、まわりのものすべてをあたしは拒絶してたんだと思う。
「あがってもらいなさいよ」
先生を客間に通したのは母親。
「玄関先じゃ世間体って奴が悪いからだろうね」って言ったら、
先生は苦笑いした。
その顔がオカシくて、あたしも思わず笑っちゃったんだよね。

3年になって先生は別の学校へ移った。
それが何を意味するのか、子供のあたしにはわからない。
子供でいなくちゃいけないのも、子供じゃいられなくしたのも、
先生だったんだ。
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